「友達」はいなくてもいい?
私は、友人と呼べるような人が居ません。
年に数回、ラインで近況報告をするくらいの交友関係はありますが、普段会えないのでメッセージのやり取りだけです。
旦那がいるので、相談や趣味の雑談は旦那に聞いてもらうことがほとんどです。友達がなぜいないのかと言うと、社会人になってから取り立てて「友達を作ろう!」と行動してこなかったからでした。就職を機に地元を離れてからは、人と交流を持っても結局は上っ面の会話だけで、元々用心深い性格もあって、そのせいか友達をつくることのハードルが高くなり自然に友達を作ることが出来ません。
しかし、友人がいないことで困ることは基本的にはありません。たまに映画や漫画で友情の物語を見たときに「いいな」と感動して私も友達がいた方がいいのかなと思います。でも休みの日にわざわざ待ち合わせしてどこかに遊びに行くのもかなり気を使って面倒だという気持ちが大きいので一人で出かけに行ったり、一人で家で自分の時間を過ごすことの方が楽です。
これから友達作りをすると言っても、生活サイクルが仕事・育児・家庭で固定されている今、新規での友達作りは苦労しそうなのですが、基本的には気の合う友達は自然にできると思うので、友達は作るべきだ!とは思いません。
ママ友っていた方がいいと感じますか?
筆者はママ友0人、義姉はママ友が沢山いて家族ぐるみで遊んだり、キャンプとか行っているみたいです。
人見知りな筆者と、社交的で落ち着いていている義姉という正反対な私たちなので、私は義姉を「友達がたくさんいてスゴイな」と憧れもしますが、一方で、沢山のママ友付き合いは私なら気疲れしちゃうなと思うこともあります。
皆さんは、友達を作るべきだと思いますか?友達がいた方がいいと思いますか?
この記事では、共働きワーママでママ友0人の筆者が、「ママ友」についての考えをまとめます。
友達は「高め合う存在」だと思う
一人で充足した時間を作っているのだったらママ友は0人でもそれでOK!
一緒に遊びに行ったり、お酒を飲んだりして一緒に行動するのを「ママ友」と定義するなら必要に応じて作ればいい!
ママ友は自分にとって「役立つ存在」か?
例えば、物を買う感覚で友達を作るというのは厳しいと思います。損得勘定がある友達作りは苦しいし、仮に友達候補に出会えたとしても前提として「功利主義」があると友達という関係性を作りにくい。
そもそも、ママ友を「いるか」「いならいか」「役立つ存在か」と考えている時点で、損得勘定で「ママ友」を考えてしまっています。
自然にできる「友達」ってどんな人?
友達がたくさんいる人の特徴は、「興味を持っていること」です。
- 人物として面白みがある
- 自分との共通点が多い
- 関係性の中で生まれるものに価値が生まれる
関係性の中で生まれるものに価値があると思えるかどうか
ママ友を持つポイントは「関係性の中で生まれるものに価値があると思えるかどうか」なので、数が居ればいいってものでもないし、いなきゃいけないってものでもないのです。あとスペックが高いというのもこだわらない方が良い。自分を取り繕うことになると苦しくなります。
- 関係性の中で生まれるものに価値があると思えるか
- やたらと数が居ればいいというものでもない
- いないといけないものでもない
- 相手のスペックにこだわらない
ダメな人ほど面白い
人間のダメな部分を見せ合える間柄の方が、相手にとっても受け入れやすくなるので、「ダメな部分」を見せることで一緒にいる空気を和やかにすることができるというのが私の持論で、「同級生のママ」という立場という出会いでそこから「ママ友」まで心が開かなかった人とも、もしくは、年齢が離れているとか環境が異なっているとか条件の人とでも、自分の子育ての悩み・ダメなエピソードなどをダメなところ弱いところをさらけ出すと、お互いを隔てていた条件が緩んでいって、その場で個人と個人のネットワークが生まれます。そのような小さな時間の共有を増やすことができれいいと個人的には思っていて、子どもには、スペックにこだわらない、ダメな部分を共有しあえる、共感のコミュニケーションを学んでもらいたいと思っています。
ママ友と「遊んだり」「お出掛け」しなくていい
ムリして、ママ友と「遊んだり」「お出掛け」しなくていいと思っていて、挨拶ができて、顔見知りであれば個人の繋がりはできていると感じます。ふと言葉を交わした時に、お互いにいい時間を共有することが大切なので、無理にお出掛けしたり予定を立てる必要はありません。
ママ友という枠にとらわれないことも必要
ママ友スタメンみたいなものがあって、そこに何人いるかっているのが重要ではなくて、関わり合いの中で関係性の中で生まれるものに価値があると思えて、それが面白ければいいのかなと思います。友達というカテゴリーに入れることが目的ではなくて、その時に関われる人が居て、人と人との暖かさがあるような繋がりが理想的です。そのためには自分の心を開いておくことが大切ですよね。
友達0人は子どもへの影響する?
友達0人が子どもに影響しないためにワーママができる処世術
親同士と子ども同士の付き合いは別だし、ママ友がいないからって子どもに影響はしないかなと思いますが、核家族化している現代では、他者との関わりを子供に見せてあげられるケースも少ないので、筆者としては、最低限の「人付き合い」は子どもに見せてあげたいと思います。
そんな風に思っていても、コミュニケーションが苦手だとどうしても、ママ友と楽しくお話している姿を見せてあげることは難しいので、自分なりの工夫で、世間とのネットワークの持ち方を子どもに教育しています。
私は、映画や漫画が好きなので、その登場人物に興味を持ったり、監督のプロフィールを調べたりして、「人に興味を持つ」姿勢を子どもに伝えています。子ども向けアニメ・映画も一緒に観て感想を言い合って、どこで感動したとか、どのシーンがかっこよかったとかを対話することで、子どものコミュニケーション力を家族の会話で高めています。
人が苦手・・・それなら「伝記」を読んでみて
もし、他者との関わりが難しいと思う人は、伝記を読んでみるのがおススメです。その人一人の歴史を丸ごと知った時に、どんどん人間性に触れて、どんなに悪党と言われる人であっても、この人はこういうことを考えて、こういう人生の選択をしてきたんだなと、自分との共通点を見つける作業が、すなわち人に興味を持つことの感性を磨くことになるのです。
ネットフリックスの海外のドキュメンタリー映画もかなりいいです!
テーマがある伝記や残念エピソードがある伝記は飽きずに興味を持って読み進められます。
ブログで語る
もし、他者との関わりが難しいと思う人は、筆者のようにブログで思いを文字に起こしてみるのもおススメです。ブログに書くネタなんでもいいですが、日記とは違って読む相手もことを意識して書くことになるので、「相手がいる」という架空の状況の中で、何をインプットして、何を得て、どう考えて、どのようにしてアウトプットするかというのを考えることは、友達0人でも実践可能な好奇心を満たす方法です。
ブログは個人の中で完結する作業なんですが、読者をイメージしたり、自分の深く知るという点で、とてもおススメです。ブログが難しいという方は、ツイッターやインスタ、匿名のサイトでも何でもいいのですが、自分の考えを言葉にして発信してみることは、他者との関わりを気軽に持つことが出来るのでいいと思います。(もちろん誹謗中傷はダメです)
まとめ:好奇心を持ち続ける!だから友達0人でも大丈夫!
友達を作るということを目的としないで、その時に関われる人が居て、人と人との暖かさがあるような繋がりがを持つことができて、その結果、関係性の中で生まれるものに価値があると思えるかどうかがポイントなので、関係性を持つためには心を閉ざしていてはいけないんですよね。
人間の面白みの一つは、他者との関わりだと思うので、相手に対して興味を持てる好奇心は忘れずに持っていたいと思います。
おススメ書籍