レディバグ&シャノワール

【ミラキュラス】ホーク・モス|たくさんの蝶が舞う演出の意図を独自解釈

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悪に染まった理由が亡き妻エミリーへの「愛」

今回は、ホーク・モスのアジトで、たくさんの蝶が舞う演出の意図を独自解釈していきます!

 

ホーク・モスが世界を敵に回した理由がエモすぎる

そもそも、ホーク・モスというキャラクターが「蝶」の儚げなイメージと非常にシンクロしていて、エモすぎるんですよね。

ホーク・モスが世界を敵に回してでも闘う理由・・・

それは、亡き妻エミリーへの「愛」です。

ただ、それだけ。

世界を変えたいとか、支配したいとか、認められたいとか、そんなんじゃないです。

その原動力は亡き妻エミリーへの愛なんです。

愛を知っている人なのに、なぜ愛のために誰かを犠牲にするのかという矛盾を抱えた中でエピソードが展開されていくので、子どもたちは気がつかなくても、大人視点で観ているファンはホーク・モス「エモい」とホーク・モスの孤独さや背景に多少の同情を感じてしまうはず。

愛のためにパリを敵に回すって覚悟がすごいですよ。

 

亡き妻エミリーに囚われたガブリエル

画像出典:ミラキュラスウィキ|https://miraculousladybug.fandom.com/wiki/

「蝶」のミラキュラスはロケットブローチなのですが、ガブリエルは現在、ブローチの中にエミリーの写真が入れています。

これホーク・モスの正体バレの伏線だったりするんですかね??

 

とにかく、エミリーを愛しているガブリエルは、地下室にあるガラスで覆われたポッドにエミリーを保護しています。

最愛の人の死を受け入れられないのでしょうね。

画像出典:ミラキュラスウィキ|https://miraculousladybug.fandom.com/wiki/

「眠れる森の美女」もしくは、ガラスの棺に入れられた「白雪姫」のように見えます。

地下のポッドの中でエミリーを保存していて、エミリーとの別れを受け入れられてないことが明白だ!

 

ひらひらと舞う蝶々が印象的な演出の意図とは?

ホーク・モスのアジトのシーンや地下室のシーンでは、たくさんの白い蝶々たちがひらひらと儚げに舞うのが非常に印象的です。

 

白い蝶はホーク・モスの力でアクマになる

人の強い負の感情を感知すると、ホーク・モスは白い蝶をアクマに変え、対象者に憑りつくために送り出します。

アクマが対象者に憑依すると、蝶のミラキュラスホルダーと対象者との間にテレパシー接続が形成され、双方の合意に達すると、対象者はスーパーヴィランに変身します。

今は、ガブリエルが悪としての目的のために使用しているためスーパーヴィランしか生まれませんが、蝶のミラキュラス本来の力で言うと、スーパーヒーローも生み出すことが出来ます。

ポイント

正義のために蝶のミラキュラスを使うとする場合

例えば、ナタニエルをスーパーヒーローにして、イラストレーターの力でレディバグに加勢する・・・など

 

白い蝶はアクマになると「まだら模様」に染まる

画像出典:ミラキュラスウィキ|https://miraculousladybug.fandom.com/wiki/

私が、この蝶のモチーフで好きな表現の一つに、真っ白い蝶をアクマにしたときに、真っ黒に染まり切らないでところどころに白が残る「まだら模様」に染まるっていう部分なんです。

100%悪に染まり切らないのが良いなと思っていて、良心の余地みたいな表現にグッときます。

いいか、しんのすけ。
正義の反対は悪なんかじゃないんだ。
正義の反対は「また別の正義」なんだよ。

 

まるで、レディバグのてんとう虫の黒星と蝶のまだら模様が鏡写しのように感じませんか?

 

たくさんの蝶々が舞う演出は「エミリーのための天国」なのではないか

ホーク・モスのアジトのシーンや地下室のシーンでは、たくさんの白い蝶々たちがひらひらと儚げに舞うのが非常に印象的です。

私には、ひらひらと舞う蝶々が、天国や天使の羽根の演出に見えています。

画像出典:ミラキュラスウィキ|https://miraculousladybug.fandom.com/wiki/

天使は、「純真無垢」というイメージがありますが、まさにガブリエルの生き様というか、エミリーの死という辛い現実を受け止めきれずに「エミリーの愛のため」にというピュアさでエミリーの楽園を作り出そうとしている狂わせた感じが出ているのではないかなと思うのです。

 

 

物語の結末を言い当てることはできませんが、個人的な解釈として、

一生をかけて愛されるエミリーと、生涯をかけて愛する人が居るガブリエルは、すでにこの2人で「完結」している関係だと言えます。二人の中に「永遠」が生まれていて、これ以上もこれ以下もないという状態まできているとしましょう。自宅の地下室にエミリーの亡骸を保存してまで執着する姿は、愛以上の愛を感じます。白い純粋無垢な蝶々が舞う空間でお互いを思いやるというのがエミリーとガブリエルのこの世での終着点なのです。

だから、エミリーもガブリエルも、本当はこれ以上の愛を求めてはいけないのですが、ガブリエルは「過去を変えてエミリーを蘇らせる」という最大のタブーを犯そうとしています。すでにこの2人で「完結」している関係やこの均衡を崩そうとしているわけです。

たぶん、もともとそれを引き起こしたのはエミリーだと思います。聖書「アダムとイブ」のお話でもあるように、神さまから「実」を食べてはいけないといわれたのにも関わらず、イブは蛇にそそのかされて「実」を食べてしまします。そして、その実は「リンゴ」と言われることが多いですよね。リンゴを食べて死んでしまったお姫様と言えば、「白雪姫」です。そして白雪姫は、ガラスの棺に入れられます。まさに、今エミリーが置かれている状況ですね。

画像出典:ミラキュラスウィキ|https://miraculousladybug.fandom.com/wiki/

つまり、ミラキュラスの何かしらのタブーを犯したエミリーは神の制裁によって命を落とし、そのエミリーを取り戻すために、今度はガブリエルが過去を書き換えるというタブーを犯そうとしている。

エミリー救済でもあるし、ガブリエル救済でもあるのですが、神の禁忌に触れてしまう行為によって、エミリーとガブリエルにハッピーエンドは訪れないんではないかと思います。そして、最終的にはエミリーのための天国が闇落ち。それが、レディバグとシャノワールの最大の敵になる・・・なんてね。

どうしても、白い蝶の舞が、天使の羽根の揺らぎみたいなものに見えてしまうので、神話系の考察になってしましたね。

 

まとめ:ガブリエルとエミリーの純愛だけでも骨太脚本

ホーク・モスのアジトのシーンや地下室のシーンでは、たくさんの白い蝶々たちがひらひらと儚げに舞うのが非常に印象的だな~と思ったことがきっかけで考察してみましたが、エミリーへの愛だけでこんなにガブリエルの儚さを感じることが出来ると思っていなかったので、自分の勝手な解釈がここまで膨らんだことに驚きました。

レディバグとシャノワールなしでも、ガブリエルとエミリーだけで、ここまで語ることが出来るのはストーリーの良さ、キャラの良さ、設定の良さ、その他のすべてのミラキュラスの良さにあると思います。

皆さんも、ミラキュラスの考察を楽しんでみてください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

  • この記事を書いた人

りのへよ

▶︎育児&趣味&仕事についてのブログ運営中▶︎情報収集が好きだけど忘れっぽい30代ワーママ▶︎5歳と0歳の5歳差育児中▶︎カネなし趣味なし友達なしのないない尽くし▶︎数字は苦手・・・でもポイ活&セール情報は大好き▶︎エンタメ好きなので作品レビュー記事多め※当ブログではアフィリエイト・Google AdSenseによる広告を掲載しています

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