クジャクのダンス、誰が見た?第1巻
あらすじ
雪がちらつくクリスマスイブの夜に起きた元警察官殺害事件。容疑者は逮捕され、事件は終わったかのようにみえた。
しかし、殺された元警察官が娘に遺した一通の手紙で事件は再び動き出す。そこには「以下に挙げる人物が逮捕、起訴されたら…その人は冤罪です」そう書かれていた。そして、そのリストには父を殺したとして逮捕された容疑者の名前も書かれていた……。
第1の事件【元警察官殺害事件】
この漫画の主軸には2つの事件が交錯します。
第1の事件は元警察官殺害事件。
主人公・心麦(こむぎ)がクリスマスイブに父の春生(はるお)と屋台でラーメンを食べているシーンから始まる本書。寒空の下、仲良く並びでアツアツのラーメンを頬張っている姿が印象的なシーンです。その後、別行動した2人ですが、心麦が家に帰ると、実家が火事で大きく燃えており、お父さんを亡くしてしまいます。この火災は、事件という扱いで、春生の葬儀の時には、犯人が捕まったと話す人がいます。
これが第1の事件、元警察官殺害事件です。ただの火事ではなく、春生を狙った事件として取り扱われます。
第2の事件【東賀山事件】
第2の事件は、東賀山(ひがしかやま)事件。
家族6人が何者かによって殺された不気味な事件で、当時刑事課だった春生はこの事件の捜査にあたり犯人逮捕に関わっていました。
突然、父・春生を亡くし落ち込む心麦は、父との思い出のラーメンを一人で屋台へ食べに行きます。そうすると、ラーメン屋台の店主・染田のおじさんから一通の小包を受け取りました。その小包は父・春生から心麦に宛てられたものであり、中を見ると第1の事件にかかわる衝撃の情報が書かれていたのです。
なぜ父は殺されたのか?父からの「手紙」
ラーメン屋店主の染田おじさんから受け取った手紙に書かれていた内容は第1の事件の容疑者として「逮捕された後藤はホントは犯人じゃない」という内容でした。
ここまでの話をまとめると、要するに、
【第1の事件:元警察官殺害事件】
- 主人公の父が殺害された。
- 後藤という犯人が捕まった。
- 主人公の父は元警察官で今は定年していた。
という流れなのですが、残された手紙には結構衝撃的なことが書かれています。
- 父がひっそりと残した手紙には捕まった「後藤は冤罪」だと旨が書かれている。
- 詳細は心麦にまで危険が及ぶかもしれないので冤罪と思う根拠は書かれていないし心麦は知らない様子。
- 手紙には、自分は殺されてもやむを得ない部分があると書いている。
- 手紙の最後に、心麦は誰がなんと言おうと自慢の娘だ書いている。
この手紙、3巻まで読んでもらえればわかるのですが、伏線が山のように散りばめられていますね。
3巻まで読んで、この手紙の伏線があらかた把握できました。
むしろ、3巻まで読んでから1巻のこの手紙を読み直した時に「何気ない普通の文章に見えてたけど、そういう意味か・・・」と父と娘の互いの気持ちを思いウルッとなりました。
それぞれの立場の心理描写が見どころ
タイトルではわからないけれど、サスペンスものの本作。
とにかく読み応えがすごい!
事件そのものの解決もそうですが、それぞれの立場で心理描写が濃いのでそれも面白いポイントです。
例えば、
- 弁護士と新聞記者
- キャリア検事と刑事
- 世間の目と犯罪者の子ども
私が特に心掴まれたのが2巻の「空蟬」(セミの字は上が口の漢字、蝉ではない)。
わざわざ「蝉」ではなく、「蟬」を使うのも何か意味があるのか。。
ちなみに、新字の「蝉」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。 旧字の「蟬」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。 「蟬」は出生届に書いてOKですが、「蝉」はダメということらしいので、後藤のストーリーに人生の重みを与えたかったのかもしれませんね。
空蟬は、心麦の父を殺害した犯人とされる「後藤」のストーリーです。
空蟬のラストシーン、、、
分厚いジャンパーを着た後藤が火事現場を見上げながら、空虚な顔で「セミの鳴き声」を聞いています。
このシーン、鳥肌でした。
ジャンパー姿なので、まずセミはいるはずない季節なんですよ。真夏じゃないんです。
そして、火事現場で騒がしいでしょうから、後藤の脳内にだけセミの声がミーンミーンとけたたましく響いているというのに、後藤の顔が心ここにあらずという感じで蒼白なんです。生き生きとした力強いセミの声とは裏腹に、後藤はまるで感情がなく、ただ燃え広がる火を無機質に見ているという感じ。
で、この火災は、後藤のジャンパー姿と民家のようなものが炎上している様子から、後藤は春生宅の火災を見上げいるのではないかと思うわけです。
後藤の背景となるストーリーを読み、さらに厚みを増す事件の謎に圧巻です。
クジャクのダンスについての解説
クジャクのダンス、誰が見た?というタイトル。
タイトルがインパクト強すぎて話題になりましたね。
このタイトルはヒンドゥー語の諺で実際には「ジャングルの中で踊るクジャクのダンス、誰が見た?」という哲学命題だそうです。
哲学命題だって言われてもピンとこなかったので調べてみたところ、
例えば森の中で気が倒れた時、誰もその音を聞かなかったとしたら、木は本当に音を立てたのか?という哲学的な命題があって。哲学者の方々はこれに対して立てた、立ててないを議論している。哲学的には「音はしなかった」というのがこの解にあたるそう。
つまり、この本は、誰かが殺されても証拠がなければ、それは殺人と言えるのだろうか?という問題提起から、すなわち「冤罪」に触れるテーマとなります。この世界は、見る人(観察者)がいないと、存在しないのかもしれません。
でも、春生も言っている通り、もし観察者がいなくてその事実は「ない」とされても、踊ったクジャクからすると「踊った」事実は変わらない。
その事実は、観察者の有無ではなく、その人の中にあるという。
つまり、事実から逃げられません。
誰が黒幕?全員怪しく見えてくる・・・
主人公・心麦の無鉄砲さもこのマンガの良いところで、心麦の行動力が物語を押し開いていきます。
読んでいるコチラは疑心暗鬼になるぐらい謎が深いのに心麦はよく頑張ってる。
誰もかれも信じられないし、誰が何を知っているのか、どこまで知っているのか、ほかに何が隠されているのか事件の全容が掴めるようで掴めない。その隠されたカードが1枚1枚開かれていく感覚が実に面白いし、そこに心麦が真相に迫るにつれ心を揺さぶられていく感情に読者として自然にライド出来て気になるけど、、、知るのがこわい、、、という複雑な気持ちになります。
頼りの警察は最初から怪しい人がいてあてにならないし。
まだ3巻なのに事件の真相を知るのも怖いような予感もします。
個人的には、心麦の母について。「心麦が幼いころに死んだ」という情報、死因が明らかになっていないんですよね。事件に関係してるのでは?と推理しています。続きが楽しみでなりませんね!